人の幸せを願う人たちの心理

なぜ人の幸せを願うのか。それは「人の不幸は自分に面倒が振りかかる」から───。赤の他人であれば幸せであれ不幸であれ自分には全く関係ないが、身近な人間の不幸は自らに何らかの面倒が降りかかる。自分の暮らしで余裕なくフル稼働している毎日で、身近な人間のトラブルに対応する必要が発生したらそれは面倒でしかない。金も時間も心身もすべては有限であり、それを自ら以外に傾けることは大きなストレスだ。

身内は当然、友人、知人、職場の同僚であっても何らかの接点がある関係者であれば、その人の不幸が自分に影響しないとは言い切れない。いろいろ巡って間接的に影響することもあるだろう。このように人の幸せを願うというのは「面倒をかけないでほしい」という心理の表れでもある。

では、赤の他人の幸せを願うのはどういった心理からだろうか?

レストランやカフェ、BAR等で、同じ時間に同じ空間を共有していた斜向かいのカップルが、お店のスタッフさんの計らいで幸せを祝うサプライズの場面に出くわすことがある。そんな時、誰もが笑顔で初めて見た主役の二人の幸せを願う。上辺だけの行為ではあるが幸せを願っていることに代わりはない。

これは「どちらかといえば不幸よりも幸せのほうが社会に与えるトラブルが少ない」と感じているからなのだろう。毎日報道される不幸なニュースは、どこかの誰かの不幸が引き金となった事件であり、不幸でさえなければその事件は起きなかったかもしれないのだ。そんな事件が巡り巡って間接的に自分に影響することを危惧し、他人の幸せを願っていることになる。不幸なニュースをなくすためには、不幸な人をなくせば良いということで、容易に想像できる簡単な因果関係の図式を本能的に感じとり、赤の他人であっても幸せになってほしいと願うわけだ。

ということは、大小あっても幸せを願わないなんてことはない。それでも日々の事件は起こり問題が事件を生み出していくということは、幸せは願っても叶わないということを証明したことになるのは皮肉なものだ。

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