飾ることは恐怖心を和らげるという心理

私がいつも使う通勤ルートの乗換駅は貨物列車が通過する駅なのだが、路線がホームを隔て上り・下りの2本しか無いため、貨物列車はホームで電車を待つ勤め人のすぐ目前を通過する。夜遅くの帰路が日課となっている社畜リーマンの私は、ほぼ毎日と言っていいほど当駅で貨物列車とすれ違う。

ホームを通過する電車のスピードとは思えないほどの速度で、警笛を鳴らしながらホームに突入する貨物車両には、鳥肌が立つほどの恐怖感が漂う。搭乗用の列車であれば、ホームで停車するという目的を果たすために次第にスピードは落ちるのだが、停車の必要のない貨物列車は、ホーム突入後もスピードを落とすことはない。スピードを保ったままの貨物列車は、凄まじい風圧と風切り音をホームに立つ勤め人に浴びせるのだが、装飾のかけらも無い無骨な車両に錆び付いたコンテナが猛スピードで目前を通過する威圧感からの恐怖は、一歩後ずさりをしてしまうほどだ。

これはスピードと風圧を体感することよりも、その”機械的な無骨さ”に恐怖感を煽られているのだと思われる。

ターミネータは未来からやってきたサイボーグ型ロボットであるが、人工皮膚を身にまとい機械的な露出を覆っているからジョン・コナーは心を許した。
アイアンマンの装飾は皮膚ではないが、機械的な露出を覆っている光沢の金属がヒーロー感を演出している。

このことから「人は装飾という化粧」があることで親密と安心を感じているのだといえる。
この親密性と安心感を与えることができなければ「機械と人間」という葛藤を常に背負うことになり、それぞれの心身的な距離が縮まるのは相当な時間が必要だ。機械装置に限らず「本質が丸見えの物は恐怖感が拭えない」。これは世の真理───。

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