支配者に労働を強いられる世紀末のイメージが抜けない「FC起業」

先日、私の古くからの知人が「回転する!」というので、「何回転するんだお?」と聞いてみると「NOT 回転、”開店”!」で、店舗経営に踏み出すとのこと。

独立願望強めの私にとって、知人の独立は励みにもなるし嫉妬にもなるフクザツな気分。それでも、知人の独立は大変喜ばしい限りだ。社畜リーマンの私がイザともなれば、雇ってもらおうか───。しかし、よくよく話を聞くと「FC(フランチャイズ)起業」だって…。

私は個人的にFC起業は「独立」とは全く別モノと捉えている。なぜならば、「独立」とは雇われずに”稼ぐ”ということだけでなく、経営に関する意思決定の裁量権が他人ではなく自分にあるということが最大限のメリットと考えているからだ。誰にも指図されず、自身の思ったとおりに資金と時間を費やすことができる。これこそが独立ビジネスの醍醐味ではないか。

にもかかわらずFC起業では、親会社から決められた手法やサービスを扱うことしかできず、決められたプログラムに則り、人の採用や賃金形態、商品の売値までも通達どおりに行わなければならない。これでは社畜と変わらんじゃないかえ───。さらに、毎月の売上から決められたパーセンテージを上納し、機器、機材も言い値で購入を迫られることを考えると、社畜以上に飼いならされるのがオチじゃなかろうか?

FC経営というビジネスの形態が存在する現代社会において、上記したことなど私の完全なる偏見だ。そうでなければFC経営の仕組みそのものが破綻しているわけだから───。

そうは言えどもFC起業を促す広告を見ると、どうしても想像してしまう───。荒れ果てた砂地に井戸を掘るために集められた人々。炎天下の中、ムチで叩かれながら大木で組まれた掘削装置を回転させる。一人、また一人と倒れていく姿に逃げ出す奴隷も、現場総長に発見され命を奪われる…。

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40オーバー社畜リーマンの想像の行き着くところはやはり「北斗の拳」の世紀末の光景だったというワンパターンなオチ───。

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