マニアが喜んだ通信販売の理解が向上した社会

早めに帰路につきたい理由として「見たいテレビがあるから」はビデオデッキやHDDレーコーダーなどの録画装置の普及により有効性を失った。最近の同意語は「ヤマトが来るから」らしい。ヤマトが来ると言っても五代進一尉が宇宙から帰還し、夜な夜なオートロックのチャイムを押すという馬鹿げた妄想ではなく、ネット通販で買い物した商品が届くという言い訳だ。

これは上記した通り「言い訳」に使用される常套句なのであるが、この文句は何時まで有効なものとして続いていくのかということについて私は大変興味がある。今までの主流であった「見たいテレビがある」は使う側としても”つまらない人間”を主張しているようで抵抗があっただけでなく、言われる側としても”そんなつまらないものに負けた”感が否めなかった。両者にとって幸薄い常套句であった。しかし「ヤマトが来る」という言い訳は、その人の懐深い趣味趣向を醸し出し「今日受け取っておかないと、週末に必要なものだから…」なんともアクティブで好意的な印象を抱かせるばかりか、言われた側としても自身を鼓舞するひとつの要因となる場合もあり双方にとって有益といえる。

子供のころ、通販といえばテレビ通販、ラジオ通販、カタログ(冊子)通販が主流であった。テレビ通販は、その商品に魅力を感じるも出演者たちの過剰反応や演出に抵抗感を覚えることが多々あり、ラジオ通販は、やはり見えないものを買うというハードルを越えられなかった記憶がある。カタログ(冊子)に関しては、テレビ、ラジオ通販の持つ課題はクリアしていたように感じていたがどうにも情報量が少なく手を出すことに戸惑った。

当時「通販で購入したものが届く」という言い訳が「見たいテレビがあるから」に勝ることがなかったのは、通販で商品を購入するということ自体が一般的なことではなかったと言える。現にかなりマニアックな商品しか手に入らないのが通販だった。「なんか変な趣味があるんじゃないの?」とか「普通に買えないものを買ってるの?」なんて目で見られては適わんとの思いもあった。

今では「安く買えるから」という理由が大多数で通販を利用している人が多いようだが、誰にも言えない普通に買えないものを買っている人にとっては、これらにカモフラージュされて生きやすい時代になったと感じている。

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