ライト感覚なヤフオクに感じた未来

今日、久しぶりにヤフオクで商品をゲットした。7〜8年ほど前は頻繁に活用していたヤフオクだが、ここ最近はめっきり頻度が減っていた。中古品を物色する必要が無くなったと貧困生活からの脱却を自慢できれば鼻も高いのだが、ただ単に物欲に向けるパワーがなかっただけだ。
我が家の家庭内稟議書の通過率が0%に近いということが正直なところだが、この地雷は致命傷になりかねない破壊力を秘めているのでここで止めておく。

久しぶりに使ったヤフオクは過去のそれとは全く使い勝手が違っていて戸惑いを隠せなかった。操作やインターフェイスそのものは理解しやすく、使い勝手を向上させたものとなっており直感的に操作ができる。しかしながら、以前のサービスを理解している私にとってはコレが挫折を誘発するのだ。なぜなら簡単すぎるから…。簡単になることは良いことだが簡単すぎても…。と思うのは私の頭が硬いのか。多分そう。

仕組みの変化によって参加のハードルが下がりサービスの認知が広がることで、以前からのルールや常識も変化していくことはよくあることだ。これは時代によって人々が使う言葉、若者が使う言葉が変化するという事実に似ているのかもしれない。同じ文化、同じ教育を受けているのにも関わらず、言葉の表現方法や使い方が変わっていくなんて不思議な気分であるが、現実はそう。でなければ平安時代の言葉が今でもやうやうと使われているはず。

今回のヤフオクの利用で味わった感覚を40オサーン風に表現すると「メール」と「LINE」の違いのような感じ。「お世話になっております。それではお約束の時間にお伺いいたします。どうぞよろしくお願いいたします。」というメールに対し「オッケー!待っててね。じゃ」ってLINEされる感じ。しかもスタンプで。だからといって商品説明に不備があるとか不快とかそんなことではない。どちらかというと以前の使用時の方が「過剰」というか「不備は許さない」といった風潮が商品説明の端々に感じられた。「ノークレームノーリターンで…」「中古品であることを重々ご理解いただき…」など、落札後の取引におけるトラブルを回避するための文章がやたらと目立つような説明が多かった。まるで、保険の契約書のルーペなしでは読めないじゃん的な4ポ程度で書かれている文字のよう。

こんなことが、ほとんど書かれてない今のヤフオク(私が物色した商品に限るが)に、性善説を垣間見た日曜の夜。

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