計画的に準備をし、予定通りに家を出て、ほぼ予定通りに駅に着き、予定より少し混み合った構内で人波に揉まれたおかげでホームに到着した電車に向かって走り込まなければならない人の気持ちは共感も理解もできる。しかし、ただ何となく準備をし、気のままに家を出て、駅についてはじめて時間が気になり、人込みを掻き分けながらホームに到着した電車に向かって全速力で走る人がまったく理解できない。
こんな人に限って、人込みを文字通り「ゴミ」のように掻き分け走っていくから、掻き分けられたほうにとってみれば屈辱感が半端ない。なぜ、そんな無計画の人間に掻き分けられねばならんのか───。こちとら、そんな人間が朝の通勤ラッシュ時に複数人はいるであろうと予測済みだが、その予測すらも大きく超えてくるスーパー無計画人間───。
そんなとき私の中の「デビルマン」が目を覚ます。デビルマンとは悪魔が人間に憑依した話であるが、彼は悪魔と決別するために人間界に来たのであって、悪を振りまくためが目的ではない。しかし、私のデビルマンは「悪を振りまくためだけに存在する」ものだ。そんなデビルが牙をむけば、目前の人込みを強引に掻き分け全速力で走る自分のことしか頭にない無計画の人間など一捻りだ。
少しばかり歩幅を広くとり、足先にでも接触することになれば無計画の人間は、計画にない「転倒」を余儀なくされる。そこまでしなくても、少しばかり掻き分けられる勢いに重心を傾け、力を籠めれば、よろけた身体がまるでピンボールのようにあちこちに弾け回ることだろう。そして、最終的に電車のドアがソイツの目前でプシュ───と締り、発車することにでもなればひとつの成敗が完了する。
こうなることを私だけでなく、誰もが思い描いているのではないだろうか。そうなると、私の中のデビルマンは悪を退治した正義の位置づけとなり、私にしても気持ちが悪いモノではない。悪を振りまき悪を成敗しても後味悪いが、それが正義となったのであれば誇らしい。
人は絶対的に「自分が正義」でありたいと願う。どんな悪いことをしたとしてもそれは自分以外の誰か、もしくは何かのせいにしたがるのは「自分が正義」でありたいという心理が働いてのこと。ジオン軍も連邦軍もそれぞれの正義を守ろうとして始まったのが宇宙戦争だ───。
世の中は「善」と「悪」が対峙しているのではなく「善」と「善」が睨み合っているということ───。これ結構深い話───。