誰にも言えない「アウト」の話

昔から慢性的にお腹がゆるく様々な困難に出くわしてきた私であるが、あるとき同じ困難と闘っている成人男子が多いと知った。「過敏性腸症候群」というらしいが、私はそう診断されたことはない。なぜならば医者に相談していないから。相談すればそう診断されること間違いないくらいのレベルでお腹のゆるさは折り紙付きだが、もう何年前になるだろうかテレビCMで「IBS」といって紹介されていた。ストレス性の慢性的な腹痛らしい。

小心者の私にとって”多数派ではないにしろ大勢の仲間が居る”ことに安心感を覚えた。少数派であっても極少数でなければ概ね大らかに暮らしていける。とはいえ、症状の原因が「ストレス性」と言い切られると、それまで普通に付き合ってきた症状がなんとなく病的に思えて抵抗がある。これが余計にストレス負担の過重にならないだろうか。

周囲の人間と話をしてもその傾向に同意する者は多く存在している。そして、それぞれに似たような困難エピソードを持ち合わせている。テレビ、ラジオ等の娯楽番組においても同等のエピソードで笑いを誘う演者もいたりして、仲間がいることの素晴らしさを噛みしめる。ルフィーが誰にでも「仲間になれ」と誘う気分がよくわかる。

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しかし、いろいろなエピソードは聞くものの「なんとか間に合った」とか「ギリギリ我慢できた」とかセーフの話ばかりで腑に落ちない。辛い状況、困難な状態が共感できるだけに「セーフ」で終わらなかったことはないのか!?と声を大にして問いたい。これだけ共感できる人が多く存在し困難に見舞われている人が多い中で、さまざまなプロセスを踏んだにせよ、滲み出る汗を誰かに心配されながら平然を装い耐えぬいた自分を褒めたたえたいような格闘があったにせよ、すべての人が「セーフ」という結末を迎えるなんておかしいのではなかろうか。

本当は「アウト」の話もあるんだろう? あのイチローだって7割近くは「アウト」になっているんだぜ。なんの取柄もないオマエがオールセーフなわけないじゃないか!などと思うのだ。だれか話してはくれまいか「アウト」の話を…。全てのことに”はじめて”は存在するわけで、はじめてコレを食べた人、はじめてアレを作った人、はじめてカノ地を開拓した人、初めてアウトになった人。

などと思うも、自分もセーフの話しか語ってこなかったことを振り返ると、誰もが「アウトの話は墓場まで」と心深くに仕舞いこんでいることを察し、追及することを止めるのであった。

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