iPhoneのロック画面を解除しホームを表示させるも、何をしようとしたのか忘れた自分がそこに居る。これは若年性のヤツか!?と疑う瞬間。
40をオーバーしてきた頃から増えてきた ”物忘れ” 。よくあるのが、用事を済ませるために立ち上がり、隣の部屋に足を踏み入れるも「はて?」何をしようとしたのか───。メガネをかけた状態でメガネを探すというコントのような出来事───。ヤバ
しかし、先日のiPhoneのロックを外し「はて!?」と考えるこの状態は、これまでのものとは確実にラインを超えているようで笑えなかった───。
今までの ”物忘れ” は、思いついてから行動を起こし、それを達成するまでに明らかな時間差があったが故の「失念」。しかし、この「失念」にはタイムラグなどほぼ無し。
ロック解除までは「やること」を確実に目的化していた(のだろう…もう憶測でしかない)にもかかわらず、暗証番号を入力しているうちに忘れたか!?否!指紋認証でロック解除が可能な機種を使用しているわけで、そこに少なくも思考的な神経を使う必要はなし。無駄な思考は「失念」を促すことは誰もが経験上知っていることであろうが、思考の必要ないロック解除において、どこに「失念」する材料があるのだろう───。
これによって「失念」に対する大きな恐怖を感じることになった私は、ここ数週間、多大なストレスを抱え日々を送っている。恐怖を感じるということは、それをどうにかして避けようとするのが人に本能。ロックを解除し「失念」感が漂うと、自ら「いやいや…そんなことは…」と現状を受け流し、あたかも「これが目的だったのよ」とばかりに特定のアプリをタップする。本当は「失念」しただけなのに、それに対する「恐怖」がそういった行動を取らせるのだ。
そして今日もそのアプリに予定外の課金を行うことになる。そして、この度重なる「課金」は、忘れた頃に請求書の細かい文字の中にヒッソリと、そして具体的な通貨で記載され送りつけられる。この請求は、思い当たる節が無いものも多いが、「失念」に恐怖している私としては、問い合わせる勇気すら無い。