年収が低い人ほど新聞を読まないという事実

とうとう新聞が贅沢品扱いになったのか!?
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1604/13/news134.html

高収入だから新聞を読むのか、新聞を読んでいるから高収入となったのか!?これはまるで「タマゴが先かニワトリが先か…」という水掛け論になりそうな予感。それにしても収入によって新聞を読んでるか否かを区分けするのは少しばかり強引ではないか。年齢や職種、地域性によって大きく変わってくるように思えるのだが…。

とここまで書いて、この意見を膨らませることを躊躇させる気持ちが沸き上がる。

年齢、職種、地域どれも収入に影響を与える要素だ。20代と40代ではその収入差は大きい。職種をとってもその職業により需要と供給のバランスが影響し、収入に差がつくこは周知の事実だ。地域性はそれぞれに特徴や物価といった外的要因が少なからず影響する。ということは、上記の区別「年齢」「職業」「地域性」はすべて『収入』に直結しているものといえ、収入を軸にその階層の行動分析を行うことはあながち間違った視点ではない。それどころか、すべての行動リサーチは収入ベースで区分けすることのほうが、様々な条件下において平等な基準といえそうだ。

収入による格差や比較記事を見るといつも考えるのがカードゲームの「大富豪」だ。この遊びは地域によってさまざまなオプションやご当地ルールが存在することでも有名なものだが、
絶対的に共通しているのが「大富豪は大貧民から最強のカードが毎回上納される」ということ。これにより大富豪は常に大富豪として君臨することができ、大貧民は貧民としての苦渋を舐めることが常となる。

リアル社会においても、ある程度裕福な状態でなければ上流文化に触れることは困難なのだ。
勉学にしろ情報入手にしろ「収入」が人の教養蓄積の源泉となる。高額収入だからこそ高度の教育が受けられ、それにより教養が高まっていく。高まった教養はより高度な知識の蓄積を求め、更に高度な知識と文化が身を纏う。

カードゲーム「大富豪」の世界観がリアルな社会とイコールになり、新聞すらも「富豪」という階層の人間の文化になりつつあるということか。

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