くつがえされる常識と、常識をくつがえそうとするバカ

幼少期「太陽を見てはダメよ」と母親に教わった私は、いま太陽の閃光を生かした写真を撮りたい衝動に駆られている。

「太陽を見てはいけない」という教えを40年以上も守ってきた私は、「皆既日食」すら興味を示さない大人に成長していたが、カメラの魅力に取り憑かれてしまった今、その教えを守れそうもない。だからといって有名写真家が作品とする程のレベルの写真が撮れるということではない。単に「撮ってみたい」というWANT───。

色度の濃いサングラスを購入し「太陽を見る」のであれば、その刺激とダメージは最小限に抑えることが可能だろう。しかしそれでは本末転倒───本来の欲求は「太陽の閃光を活かした写真を撮影したい!」というもの。サングラスをかけるという行為は「太陽を見る」のに有効だが、写真を撮るということに関しては不完全なアイテムだ。

灼熱の太陽をギラギラと輝かせた熱気ムンムンの情景と、ほとばしる汗を拭うビーチバレー選手の姿を被写体として写真に収めたい───。心の奥底から湧き出る欲求が衝動に代わる。

「過去の常識、今の非常識」という言葉の通り、今では過去の間違った教えに”命を落とさなかったことが奇跡的”というほど非常識が指摘されている。

夏の運動部の代名詞といえば「野球部」───。練習中の水分補給は、未成年が酒・煙草を嗜むがごとく非難された。汗が枯れ、喉がカラカラになり、目の前が白くモヤモヤしてきても水分補給は許されなかった。「気合が足りない!」「根性がない!」───。

「気合が足りない」から”汗”が出ないのか?「根性がない」から”目の前がモヤモヤ”するのか?は現代医学に則れば「熱中症」の症状。体力強化トレーニングの「うさぎ跳び」も「膝を悪くする」だけの無意味な運動───。都内では校庭が「コンクリート」な学校があり、ここでの練習試合でヒットエンドランのサインを出す監督は「ドS」だ───。

こんなダメな時代を生き抜いてきた昭和な我々は、戦争を知らない子供たちの中でも相当強力な生命力を有する世代だと思われる。

このように昔の常識が当てはまらなくなった現在では「太陽を見てはいけない」も非常識な教えだったのかもしれない───。太陽の閃光を撮影したいばかりに、そんな思考に埋もれたバカな私───。

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