好きなオッパイを自分が所有すると悲しみが増す話し

「35歳を過ぎてくるとお腹が出てくるから食生活には気をつけろ!」なんて助言をもらっていたのがもう8年以上も前のこと。「お前と一緒にするな!」なんて斜に構えていたが、その助言は予言だったのかもしれないと、凹まないお腹を見て当時の暴言を恥じている今日この頃。同じ助言を後輩に告げている自分の姿を客観視し「語り継がれてきた歴史」の一部を自分も担っているのだと感じた。

歳を重ねることに起こる”体の変化”に意識を向けはじめたのはここ数年のことだが、年々確実に去年の自分と違ってきていることが確認できている。観測史上初の「お腹周りのタプタプ」や「おしり周辺のプルプル」「顎下あたりの二重あごを象るシワシワ」などいたるところに要らないものが集まってくる。

欲しいモノより要らないモノが集まってくるのは人生の常なのか運命なのか?と自虐的な自己分析を行っていた最近、私の胸にAカップ程度のオッパイが出来てきた───。

オサーンの体としては不要なものだが、オサーンの大好きなモノ第1位に君臨する「オッパイ」が自分にあるということは儲けたような気分になるかと思いきや、そんなことはなかった。風呂上がりの鏡に映るオサーンの胸にあるオッパイを見ても全く嬉しくない。貧弱なお相撲さんのソレを見ているのと変わりはない。色、形、大きさ全てにおいて不満足。触覚を活用してみても、私の体の好感度アンテナは全く反応せずやはり不満足評価は変わらない。

ということは全く要らないものといえる。オッパイが要らないものなんて、何て贅沢な!とおもうのはオッパイがないから言えることで、それを所有したと同時に悲しみも所有することになる───。

なぜ誰も教えてくれなかったのか?35歳でお腹が出て、40歳でオッパイが出来てくることを…。とはいえ、助言をもらっても当時の自分は「お前と一緒にするな!」と斜に構えていたのだろな───。反省。

シェアする

フォローする