小中高生に教える「舛添都知事問題」のカラクリ

2016年6月───舛添都知事 「政治と金」辞任!?のニュースが毎日テレビを賑わせ、当人は各方面からのバッシングで針の筵(むしろ)状態───。前都知事(猪瀬さん)もそうだった───。

叩いてホコリが出ない人などいるのだろうか? 半世紀以上も生きてきて、人前に出るような脚光を浴びる人ほどその影も濃いだろうに───。

結局、誰もがホコリを持っているけど、それが白昼に晒されないだけなのだ。明るみに出るのは、その人を貶めようとする計画が実行に移されるとき「では、このホコリを使いましょう」と号令が掛かるがごとく全てが同じ方向に動き出す。この一連の動き───要は”舛添降ろし”の口実。───そして昨日、舛添知事は辞任した。

とたんに舛添擁護の報道が相次ぐことになる(現に今朝のワイドショーではその手の話ばかり───)そりゃそうだろう。舛添さんを叩くことが目的ではなく”降ろす”ことが目的でホコリを使ったんだから───。コトが済めば、個人なんてどうでもいい。早々に「舛添」ワードのニュースも皆無となるだろう。

まぁ、公人とはこういうもので、降ろしたい時に使えるホコリがあったほうがイイと思う人もいるってこと。私が思うのは、誰が何をしたくてこのシナリオを書いたのかなぁ〜っていう天上人のような呑気な思考───。

誰だって叩けば出るでしょ少しのホコリくらい。私だって出ますよ。ボロボロとモンモンとしたホコリが───。でもそのホコリにナンの価値もないというだけ。

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