ネガティヴな投稿は、気分のいい(Feel goooood!)時に書かないと、「愚痴」「妬み」「嫉み」が綴られた『吐き溜めブログ』になりかねないから注意が必要だ。
特にオサーンの社畜リーマンが投稿するくだらない独り言ブログなどは、日々の灰色がかった気分がそのままブログに反映されてしまうから細かく気を遣うことが大事───。そんな『吐き溜めブログ』に染まってしまうのは、「オサーンだからか?」「社畜だからか?」「リーマンだからか?」を考えても、この因果関係はたったひとつの事由が原因で導き出されるものではなく、さまざまな要因が影響しているわけで、それを検証する術もなければ時間もない。しかし、”理由を考えてみる”という行為は無意味か!? と問われれば「そんなことはない」と答える───。なんとも、矛盾に満ち溢れた回答だろうか。
「少年のような心を持った人」という表現は、”矛盾とうまく付き合っていけない人”を指していることに気づいたのはつい先日のこと───。言葉は、その表現方法によって受け手に様々な感情を抱かせるが、先の表現は「ステキな人」を示しているようでも「ダメな人」を示しているようでもある。このことから、言葉はTPOによって意味が豹変するモノといえる。
言葉の表面的な意味だけを追っていては、その本意を見過ごすことになり、結果として「ダメ」さ加減を露呈することにつながる。人は誰も「ダメな人」とは思われたくないのが常である。なんとも日本語はたいへん難しい───。日本語しかできないオサーンが「日本語は難しい」と嘆くこと自体「ダメ」な表現なのだが、“日本語しかできない”という本性が見抜かれていなければ、バイリンガルの「ステキな人」となる。なんとも日本語はたいへん難しい─── 。
さて、そうなると結局のところ「言葉を相手がどう受け止めるか!?」ということが重要なウエイトを占めているということになるわけだ。言葉巧みに相手を誘導する様を想像すると、それは「詐欺師」に近いイメージだが、頭脳明晰な相手が勝手に言葉をハイセンスに解釈してくれることで、言葉巧みでなくとも詐欺師が務まることも事実であるということを解釈すると、これもまさに矛盾を突き付けられた気分に陥る────。つきつめると「言葉そのものが矛盾なコミュニケーションツール」なのではないかとも思う。
「逆もまた真なり」真理を突いている古くからの格言も、世の中は矛盾に溢れているという証────。