ストレスと共に生きる自己洗脳

過去から現在において商品やサービス・システムの類のものは、多数派に合わせて設計されている。ターゲットを多数派に想定することはマーケティング戦略の鉄則ともいえ、企業の開発戦略は間違ったものではないが、自身が少数派に属していたりするとそれに対しての魅力は半減するばかりか、大きなストレスを感じる要因ともなる。

それが商品だった場合「選択の自由」を行使することで『購入しない』という抵抗を表せばよいのだが、選択の余地のない場合はストレスもMAXになる。身近なものでいえば駅の改札ゲート。右利き用に設計されているそれは、左利きにとって「ストレス・ゲート」と名付けたいほど煩わしいゲートだ。あんな小さな「投入口」に利き手でない手で切符を挿入しなければならないことへのプレッシャーと、上手に投入できず社会の流れを乱してしまったときの羞恥心はストレス多過。

昨今ではICカードを活用することで投入口への挿入プレッシャーは軽減されたが、それでも非認証の割合が高いのは左手で対応しているからか─── 。非認証警告のキンコ──ンという警告音とともにゲートが閉鎖され、まるで犯罪者として捕獲されたかのような仕打ちと周囲の人々の迷惑そうな眼差しは心をエグられる思いだ。ということは今も昔も重度なストレスを受けていることに代わりはないということになる。

ある情報系サイトで「右利きに比べ左利きのほうが早死にする」という記事を読んだことがあるが、このようなストレスを日常的に感じている左利きの寿命が短いというは信用性を追求せずとも納得できる話だ。

先日、ジョギング用の便利アイテムとして腰に巻く「ボトルポーチ」を物色していたところ、利き手別に商品ラインナップが展開されていた。多様なスタイルに商品ラインナップを揃えるショップの方針に感動したのも束の間、右利き用のカラバリは8種もありながら、左利き用は2種───。クッ! 感動を返せ!

”サウスポー”とか”レフティー”とか特別な存在感を表現する左利きに対しての呼び名は「ストレスに耐えている人」への賛美の言葉なのかもしれない…。なんて考える右利きの私───。これだけ書いておいて右利きとは何事じゃ!とお叱りを受けるかもしれないが、お箸と鉛筆とマウス以外は結構左手で操作する事が多い私───。今日の投稿は、そんな自分の特性を活かし、ここ数週間ほど「左利きとして生活してみる」というミッションをクリアした報告である。

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