しがないサラリーマンの平日は、毎日決まった時間に家をでる。ラグビー日本代表 五郎丸選手バリの寸分狂わない朝のルーティーンを実行し、無意識に準備を整えることができるようになったことについては自分でも驚く。公共交通機関の利用を推奨している会社までの道のりは、その推奨ルートを素直にトレースする。このように朝の行動パターンが一定になることで、目覚めてから家を出るまでは全く思考回路を働かさない。そればかりか会社に到着するまでの間、全く記憶がないことも往々にしてある。まさに社畜。
ところが今朝、ひとつの事をきっかけに思考が突然働きだした。それはまるでスリープ中のパソコンが静かに動作を再開したかのように穏やかに。その出来事とは、排ガス軽減仕様のバスの車中での事だった。そのバスは排気ガスの軽減のため信号待ちでアイドリングがストップする。いつもと同じバスに乗っているにもかかわらず、今日に限りそのアイドリングストップに神経がざわめき気にさわった。
私はどうしても昨今の燃費向上、排気ガス削減仕様のアイドリングストップ機能を有する車に不安感を募らせてしまう。燃費が良くなり経済的というメリットの提供には、自動車メーカーに感謝の意を表するが、どうしてもアイドリングがストップすると「エンジンが止まった」と焦ってしまうのだ。
これは私が初めて車を購入したときのトラウマだ。中古で購入したバン(コミコミ40万)※コミコミとは何と何が込みなのか?はいまだに不明。は、信号待ちのたびにアイドリングが不安定になり気がつくとエンジンが止まった。一度止まると、いくらセルを回してもまったくエンジンは息を吹き返す素振りも見せない。後続車に罵倒を浴びせられながらも頭を下げ、路肩にクルマを押し転がすこと数えきれず。
昨今のアイドリングストップ構造の車に搭乗しその機能が作動するとどうしても落ち着かない心境になるのはこのような経験からである。あまりにも時代を先取りしたアイドリングストップ車を手にしてしまったことで、最新のそれにアレルギーが生じるとは、なんとも悲しいことだろうか。