少年時代───。解らないことや不思議なことは担任の先生に聞けば解決できた。私にとって学校の先生は「なんでも知っている大人」の代名詞だった。あれから何十年という時間が経過し当時の担任の先生の年齢を超えた私だが、今でも学校の先生は「なんでも知っている大人」というイメージが抜けない。仕事関係やそれ以外の人付き合いの中で紹介してもらった方の職業が「学校の先生」というだけで私の抱える疑問の一部を聞かずにはいられない───。いちど植え付いたイメージはなかなか変わらないものだ。
子供のころに野良犬に吠えられ泣きながら恐怖に青ざめ逃げ回った記憶が、チワワでも「犬」というカテゴリに属しているというだけで「恐怖」を感じるのは植え付けられたイメージのせいだろう。はじめて食べた牡蠣が傷んでいたことが原因でそれ以降、牡蠣を口にしただけで「オェッ」っとなるのも同じこと───。ひとことで言えば「トラウマ」だ。
誰にでもひとつくらいはトラウマを抱えているというが、その内容によってはその後の生活において大きな影響をもたらす可能性も秘めているから安易に笑い話にすることはできない。
先日、私家親戚の集まりで見慣れない青年を発見した。聞けば昔々に私が抱っこして公園まで遊びに連れて行ってあげていたタカシ君(仮名)─── 。大きなオシメを付けていた子供が今では立派なイケメンになった。同じ時間を経過したにもかかわらず、こんなにも変化に違いが出るのは細胞分裂の速度差だろうか─── 。「ワシがオシメを変えてあげたんだぞぉ─」と言われた本人は「はぁ・・・それはそれは───」しか返せない無駄な会話をイケしゃーしゃーと話す社畜───。コマルネー。
そんなタカシ君は”教員免許取得”を目指し現在大学に通っているという。将来は学校の先生になりたいのだとか───。しっかりと将来を見据え頑張っているタカシ君に、若き頃の自分とダブらせるも「イケメン」具合が段違いに違い過ぎてうまくシンクロできなかった───。ショック!
そんな集まりの帰路「もしも、タカシ君が学校の先生になったら…」を想像した。間違いなく私のトラウマが発動し、オシメのイメージも抜けないタカシ君に、今の私が抱える一番の疑問…「先生。僕はいつも女の人のオッパイのことばかり考えてしまうのですが、僕は変態なのですか?」と聞いてしまいそう─── 。