ブログ記事の題材なんて結局こんなもんさ…という話

とうとう関東地方も”梅雨入り”宣言が出された。新緑の初夏を感じる時節は、なんて穏やかで気持ちの良い日々だったのだろう…と、失ってはじめてその有り難味に感謝する。「失ってはじめてその貴重な存在に気がつく───」なんともポエムでリアルな一節───。心が洗われる思いだ。

それにしても四十数年も生きてきて「梅雨」という時節を敬愛してやまない───という人に会った試しがない。この日本に「梅雨を愛する」人は存在するのだろうか。この疑問はまるで「河童は日本に存在したのか?」と同じレベルの探し物をしているようにも感じる。

日本古来の”伝説の生き物”としての位置づけに「河童」「天狗」「ツチノコ」などがあるが、個人的には「河童」は「天狗」よりもリアルで「ツチノコ」よりも伝説的(天狗 < 河童 < ツチノコ)なところに位置づけて認識している。A型右利きの「THE 日本人平均」を自負する私の個人的意見は、ほとんどの日本人の平均的意見と考えてよいだろう。

テレビや雑誌などのメディアにおいて河童のミイラが祀られているお寺(神社?)を紹介したりしているということは、やはり河童は実在したということか───。

はるか昔に存在した生物の代表といえば「恐竜」が思い浮かぶが、これは世界的にも認知されたもので化石などの物的証拠も存在する。また、進化論の視点からも各専門家が生涯を賭けて研究を続けていることからも存在は間違いないように考えられる。

それに比べ河童はどうか。ミイラという物的証拠が存在し、様々な文献にも登場している生物であること。「火のないところに煙は…」といわれるように、全くの迷信とはいい難いのではなかろうか───。

とここまで書いて、なにを「河童」に執着しているのだろう.…とふと我に返った。河童を題材に経験と知識を掘り下げても、たいした話は持っていないし、オチもない。こんなツマラナイ記事を書くことに貴重な時間を割いて何になるのだろう───。

まぁ私の記事やブログには、はじめから意味などないのだが───。ただ、梅雨の雨降る深夜に、ひとりで”もろきゅう”を食べている今を嘆きたかっただけなのだ───。

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