「リーマンとして欲しいWindows」と「クリエイターとして欲しいMac」 オサーンとしては「愛」が欲しい

いま私はWindows機を欲している。デザイン制作を生業としている仮にもクリエイターと位置付けられるオサーンが「Windowsとは何事か!」と雷を落とされようものならオズオズと引き下がりもするが、雷を落とすほどパワーを持ちあわせる上長は弊社には皆無─── WindowsとMacの違いを「W」が逆さまになって「M」…というダシャレのような認識しか持ち合わせていない人間がほとんどだ。トホホ…。

こんなことになるのは、もともと完全アナログ思考の根付いた会社で「Web系フロントエンド的なビジネス事業」をベンチャーとして立ち上げてしまった私に全責任がある。まぁまぁ、そろそろ自身の進退を考えますによってご勘弁を───。

話を戻し、なぜにWindowsかというところを突き詰めると、最近になってOffice系ソフトを利用した文書作成、表計算、企画書作成に追われる日々が続いていることに尽きる。これらを作成するソフトはWord、Excel、PowerPoint───。Mac版がリリースされていることから「使えない」ということではないのだが、明らかにWindows版の操作感のほうが直感的でスムーズなのだ。Microsoftの意図的な戦略設計としか思えないほど露骨に「Mac操作」感が面倒なのだ。

Excelでの画面表示の拡大縮小コマンドや、セルの移動操作、入力関数候補へのアプローチ等、何をとってもWindows版の操作感には程遠い。Excelという特殊な使い勝手を要する表計算ソフトだからということでなく、Word、PowerPointですらその操作感は完全にMac敗北な感───。ストレスがたまる一方なのだ。

インターネット常時接続あたりまえのクラウド時代の現代において、WindowsもMacも、どちらにしかできないことなどほとんど皆無───。両者のデータ互換すら、20年ほど前の騒動が嘘のように跡形もなく消え去った。こんな時代───。

過去においてMacを持っているというだけで、 デザイナーの価値を3割り増し程に演出してくれ、アウトプットされるものは数段に高品質に思えた。しかし現在、そんなイメージは全くない。これは、iPhoneという大衆化したデバイスの出現によりApple製品が特別なものではなくなったからか。だからこそMac神話からの卒業を含めWindowsが欲しいと言ってみた。

とはいえ、Windowsに代われば今度はMacが欲しくなるのは、いままで四十数年も自分と付き合てきた私だから見える未来───。そんなことを思いながら、ため息ひとつと合わせ「ほしい物リスト」をクラウドに戻す───。

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