世の中不思議なことだらけ…という話

特筆して取り柄のない社畜クリエイターがオサーンになると「帰巣本能」が驚くほど強化される。会社デスクでの「帰りたい」という欲求は言わずもがな、休日のお出かけ日和に自らの希望で出向いた先でも、昼食を終えた頃にはすでに「帰りたい」と懇願している。

優秀な帰巣能力を持ち合わせている「レース鳩」は、解き放たれた場所から瞬時に方角を判断し厩舎へ向かうというが、私のそれは鳩の特殊能力とはまったくの別物で、単に「帰りたい」という願いだけだ。だから、知らぬ地で放出されても自らの力と能力で帰宅することは全くできず、誰かに涙を流して懇願することで何とか願いが叶うといったレベルでしかない。ということは「帰巣本能」ではなく単なる「帰巣願望 」と言ったほうが正しい表現かもしれない。

「帰りたい」という願いが叶い自宅に到着したところで、たいして居心地が良いわけでもなく、楽しいことが待っているわけでもない。それどころか、常にビクビクした精神状態である。唯一の居場所であるソファーの上で横になり”わさビーフ”を口に運びながらボ── ─ ─ っとテレビを眺める───。それでも「帰りたい」という願いがが無くなることはない。なぜか?

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家で待つ人の立場から考察すると「帰りたくない」と思われるよりマシだろう…と想像するも「自意識過剰なオトコめが!」と紫色のオーラが待人の背中に漂う瞬間がコワすぎて口が裂けても言葉にはできない。それどころか「帰ってこなくていいのに───」という目つきで私を硬直させる待人は、ギリシャ神話に登場するメドゥーサが実在したことを”証明”するほどの力を帯びている。

神話ではあっても、世の不思議や疑問を”証明”するということは誰にでもできることではなく、それを証明した待人を私は心から尊敬する。

ニュートン力学や相対性理論など物理分野を例にあげても、人々の不思議や疑問を”証明”するのには多大な時間と情熱と労力を要した。物理分野だけでなく医療、人体、天体分野などなど、あらゆる分野でも物事を”証明”するのには大変なエネルギーが必要とされる。21世紀の現在でさえ世の不思議が無くなっていないのは、人類が解明することのできないものがこの世には沢山存在し、それらを目の当たりにしたとき、それを創造した「神」の存在を意識する。

私の「帰巣願望」も鳩の「帰巣本能」も、神の創造した人類が解明することのできない不思議のひとつ───。

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