先週金曜日からとうとう日本でもダウンロードが開始された「ポケモンGO」だが、40オーバーのオサーンにとっては、それほど魅力的に見えないというのが本音───。巷は何故にそんなにも大騒ぎしているのだろう?
思い返せば、空前の「パズドラ」ブームにも”ノリ遅れ”、トレンドに敏感なオサーンに憧れながらも、願っただけで何も行動に起こさないというダメ人間。ダメオサーン───。ならば今度こそは!と「ポケモンGo」に興味を示すも、イマイチ重い腰が上がりきらない。それは何を隠そうきれいに整列されているスマホのホーム画面「アプリの並びを変えたくないな〜」という、几帳面過ぎてつまらない男の言い訳───。ダメダコリャ。そんなオサーンも「巨乳美人が駅前の食堂でバイトをはじめた!」という情報が入ればメシ屋をハシゴするのだから、完全に興味の問題だ。
ともすると「ゲームに興味がない!?」ということだが、振り返ると夢中になったゲームは沢山ある。古くは「インベーダーゲーム」から「パックマン」、「クレイジークライマー」などといった”ゲームセンタ嵐” 全盛期のビデオゲームという時代から、その後ファミコンの到来とともに「ドラクエ」「スーパーマリオ」「ファミスタ」「グラディウス」「沙羅曼蛇」「ボンバーマン」「ゼルダの伝説」などなど、記憶を遡ればいくらでも思い出せる───。「上上下下左右左右BA」は何よりも慣れ親しんだ記憶ワード。そしてスーパーファミコン時代が到来し「シムシティ」や「マリオカート」などで夜を明かす…という───ね。
最近では十数年という時を経て、プレステで「メタルギヤ」という映画のようなゲームにもハマったな───。とここまで語れれば、なかなかゲームに詳しそう───なんて賛美を掲げてみてもその程度の知識、経験は完全な自己満足。この程度で世間と渡り合おうなどと考えれば、ものの2秒でスライムの集団に出くわし瀕死の状態に陥ること必至───。世の中は私が知るよりも広く、深く、偉大なものである。
ともすると、やはり今回の「ポケモンGO」も、私のすぐ脇を駆け抜ける一大ムーブメントに過ぎないのだろうとも思う。まぁまぁ、それはそれで良しとして、先日面白い理論を耳に挟んだので記述しておく。それは「平成生まれの日本人に根付く”ポケモン魂”」という理論。40オーバーオサーン世代の私たちにとってみればキャラクターの1つに過ぎないポケモンだが、このムーブメントの渦中にじっくりと浸かっていた年代(平成生まれ世代)にとってみると、全く認識が違うようで、「ポケモン」は幼少期の心の支え的な存在の敬愛するキャラクターなのだという。
幼少期の悲しい時、嬉しい時、楽しい時、寂しい時───、彼らと一緒にあったのは「ポケモン」───。ミッキーマウスやキティちゃん、ドラえもんとかアンパンマンとか…世代にとって様々なムーブメントと、知らず知らずに身近にあったキャラクターは、その世代にとってまさに心の支えなのだという心理───。なるほど、解らないことはない。私も幼少期、両親にも友達にも打ち明けられなかった出来事を、ドラえもんというキャラクターには相談できた記憶がある。(ねぇドラえもん。なんでオ◯ン◯ンは朝起きると硬くなるの?僕は病気なの?)
そんなキャラクターが、IT、クラウド、GPS、SNS、AR、仮想空間といった技術的なものとコラボし、ビジネスとして膨大なトレンドという大渦が動き出すとしたら───。しがないクリエイターの私にとっても、なにか新たな発見を見出してくれるかもしれない「ポケモンGO」は、几帳面なホーム画面を見直すきっかけとなるかもしれない。と、重い腰をあげるため、まずは3つもインストールしているリバーシを1つデリートするとしよう──。