出世コースから外されたリーマンの将来を考える

長期に会社勤めをしていると、デスノート一番乗りだった過去の上司や、ライバル視していた同僚、使えない後輩どもの社内での人事(昇進昇格プロセス)をじっくり観察できているということに気がつく。(当然自分のプロセスも…)

社内での評価の上昇、下降、また価値を評価しきれていない現場とのギャップ───。これらの情報は、長年の「歴史」と、人事に精通しているという「人脈」から。

転勤や転属などで、観察者の動向が目前から消え去るということがない中小企業において、「人事」というものは個人のプライドやモチベーションといった心理的に繊細な部分に直接触れるモノである。

40オーバーともなってくると、今までのポジション経緯や他者との比較、会社の規模感や人事権力を持つ人物の趣味趣向などの様々な要素から、将来の自身の”可能性”をリアルに先読みできてしまう。

様々なプレッシャーに耐えコツコツと段階を踏んできたオサーンであるが、全くミスなくここまで来たわけではなく、また、誰かを踏み台にしてきたことも無いとは言い切れない。出世争いの先頭を走っていたと認識していた自分が、そのポジション争いから確実に「戦力外」を言い渡されたと感じた瞬間に、背負ってきたものがガラガラと音を立てて崩れたような気がした。

bj12_jp-155-2

確かにミスはあっただろう。それが会社のどの程度の損害を与えたか? なぜか不思議と知らないうちに評価が下げられ、ミスを他の問題とすり替えられ、どっさりたっぷりと擦りつけられた感も否めない───。

要は、会社風土「下剋上」体質において戦いに敗れた───ということ。思い返せば自身のポジションプロセスもこの社風を利用した。もしくは、自分がこれを造り出したのかもしれない─── 。そして、上位ポジションに暗黙的に位置した瞬間から、社内における政治的パワーがMaxになる。さらに、誰の目からも明らかな特別といえる手厚い待遇が頂ける。ある意味すごい社風だ───。

そんな社風において、「下剋上」で蹴落とされた社畜達の中には、歯ぎしりしながら卒業を選んだものも多い。それでも、次の機会に備えグッとこらえている者は根っからの社畜体質、はたまた、女房子供を食わせていかねばならんという男としての役目を果たすために耐え忍ぶ武士道───。

社内でありながら敵意むき出しの相手との会議は、過去に我慢を強いられてきた者たちの報復の場。こちらの発する言葉の意味よりも内容よりも、その言葉に対しての異論、反論を並べ意見を抹殺することでパワーバランスを強調したいという人間のワンマンライブだ。それに異論すれば、打ち首獄門、切腹、島流しの刑が待っていることを、皆知っているから何も言わない。

あと20数年の定年まで、過去部下今上司の”事実上トップマン”からの屈辱を受け止めていけるのか───。どうなのだ、働くリーマンよ!と問うてみた夕刻の頃───。

シェアする

フォローする