心が苦しい今を解決してもらうために「時間」に話しかける….。

ここ最近、気持ちが晴れない。原因はいくつか考えらるが、どれも決定的な解決方法が見当たらず「時間」という偉大な力に身を任せるしかない状態。

「時間が解決してくれる」とはよく言ったもので、傷ついた心を急速に癒やす術は、これだけ技術が進化した現代でも中々見当たらない。そう考えるだけでも「時間」の偉大さを痛感する。(この投稿は約1ヶ月前の心情を綴ったものを現在公開したものです。)

あるとき「時は金成り」と、時間を大切にするよう指摘を受けたことがあったが、ちょうど今が「時間」と「金」の関係を深く考える良いきっかけなのかもしれない。

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「時間」という宇宙の創世以来からある概念と、「金」という貨幣ルールに則った価値基準という概念───。

「時間」は、代わりのない絶対的なものであり、誰にでも平等に与えられる。「金」は、得ることができる人とできない人が存在し、その大小に価値差があるという不平等なもの

この相反する2つの概念が「等価」なのだろうか。そして、1時間の価値は何円で、1年の価値は何円なのだろう。

若かりし頃の自分が使った時間と、40オーバーのいまの使おうとしている時間は、同じ量だとしてもその価値は大きく違う。これはやはり無いもの(残された分量)に対する価値の変動によるものなのだろう。

若い頃は、有り余る「時間」を「金」に変え、欲求を充してきた。しかしオサーンなった今では「金」を持っているわけではないが無いわけでもなく、人生において残された時間が減少してきたことで、あらゆる「可能性」が制限され、薄れ、閉ざされた状態に「あの時に戻りたい…」という非現実的な願いが「時間」の価値を高騰化させているのだろう。

ということは、私よりもさらに残された時間が少ない諸先輩方は、私の今以上に時間の価値は高価なのだろう───。

これからどんどん「金」よりも「時間」を大切にしていくことを考えると、今ここでお湯を入れて3分で完成する「カップヌードル」を食すよりも、5分待つ「赤いきつね」を選んだほうが、未来の後悔が軽減できるのだろうか───。

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