お洒落は足元から、懐の深さは心の余裕から

“お洒落は足元から…”とはよく言ったもので、古くから語り継がれる言葉には真理が隠されているようである。

頭の天辺から「THEお洒落」をコーディネイトしている爽やかな青年と対峙すると、田舎者の40アブラギトギトオサーンは戸惑いを隠せない。それはファッションセンスに乏しい自分に対する劣等感─── 。博学な人を前にすると、希薄な知識の持ち主は遠慮がちになることと同じ心理。

お洒落を話題にするといつも思い浮かぶのが「RIKACO」。誰だか忘れたが、お洒落な人を指す代名詞として「RIKACO風」と呼んだ人がいた。多くの人が大きく頷いた的を射た表現に「ブラボー!」とスタンディングオベーションを送ったことを思い出す───。

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対人関係において”劣等感”を抱いた瞬間にそれぞれの立ち位置が決まるのは定跡だ。ベンツの隣にカローラを駐車することの敗北感───。月極め駐車場であれば将来における各々の立ち位置を覚悟するのは定跡。「昨日美容院に行ってさー…」なんて話をしている群衆に、1,000円カットのオサーンが意気揚々と人生観を語る光景を目の当たりにしただけで窒息しそうなほどの悲壮感が漂うのも定跡───。
世間は「陽と陰」「光と影」「勝ち組と負け組」という属性が存在し、だれもが”輝く側”に配属されたいと願っている。

真夏の日差しに汗ばむ陽気の休日に、カフェテラスで涼しげにアイスティを飲む青年が首に巻くストールと、オサーンの首のストールとでは爽やかさの伝わり方が全く違う。そればかりかオサーンのそれは、暑苦しいマフラーに映るから不思議だ。

そんなオサーンの足元が小汚い靴だったりするのは論外だが、靴紐が解けているというだけで、だらし無さから怒りすらこみあげてくるのは、お洒落は足元からが定跡だから───。多少イタいオサーンでも、足元がスマートなだけで株が2〜3上昇する。

逆にお洒落な青年が靴紐が解けていた場合はどうか。オサーンに対してのそれとはソフトな反応で対処できそう。そればかりか劣等感が薄れ親近感が向上するのは私だけか。「靴紐あぶないよ」なんて優しく指摘する負け組オサーンにとって、それまでのコールド完敗感が「”11対0”ながらもランナー2塁」的な一矢報いる機会に遭遇したような高揚感───。

その解けた靴紐が正しくまとまれば、相手は天下無敵のfashionablerと変身するのであるが、変身前を知っているだけで劣等感の意識は薄くなる。これは、変身前の仮面ライダーが本郷 剛ということを知っている小林昭二演じる立花藤兵衛(おやっさん)の立ち位置そのもの───。敵と遭遇すればそれは「改造人間」と「タダのオサーン」、その強さは雲泥の差であるが、おやっさんと行動を共にする本郷 剛の懐の深さを感じる。そして本郷 剛とリンクするfashionablerの余裕はまさに「お洒落は足元から、懐の深さは心の余裕から」ということ───。

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