私は目が悪い。常に眉間にしわを寄せ、目じりが吊り上がった状態で─── …って目つきが悪いわけではなく、「視力が弱い」という意味での”目が悪い”だ。
普段はコンタクトレンズを常用し、社畜から解放された夜間や休日はメガネで過ごす。しかしながら、メガネで過ごす日常はたいへん億劫でならない。アジア人特有の骨格と鼻の低さが影響し、ずり落ちたメガネの影響で視界が制限されがちになるからだ。
さらに、オサーン特有のアブラギッシュフェイスがプラスされ、どんなフィッティングテクニックを持ったメガネ屋さんでも苦笑いさせるほど厄介な問題となる。「日本人特有の骨格のせいでね───」なんて、心優しい気遣いを見せてはくれるものの、明らかに顔面アブラーと奮闘しているように見えるのは、私の視力が弱いせいではない。
そんなことからコンタクトレンズ派な私であるが、メガネが似合う男に憧れだしたのは最近こと───。カッコよく、クールに、知的に、スタイリッシュな爽やかリーマンになりたいと社畜オサーンながら夢をみてしまった。
しかし、どんなに頑張っても鼻が高くなることはないし、顔面から溢れるアブラーは枯れる様子を見せない。ずり落ちたメガネに神経質な社畜など爽やかリーマンとは程遠い。何とかならんものか── ─ 。メガネの鼻にあたる部分に接着剤でも付けるか!?水中眼鏡ほどの強度で頭の回りに括りつけるか!? いくつかの解決策を思いつくが、メガネがずり落ちないことに意識が傾き過ぎて爽やかリーマンに仕上がらないことに気がつかないのは「恋は盲目」と同じ心理状態だ。
ひとつの問題に注目するが余り、本来の目的が見えなくなってしまうという本末転倒な状態── ─ 。そんなとき、メガネが似合うリーマンになりたいという願望に注目するあまり、爽やかリーマンとは程遠い自身の「体形」「体質」「人格」という根源を見失っていたことに気づく。これまたさらに本末転倒───。
かくして、メガネ派になりたいという社畜の夢はゴミ箱行きとなった─── 。