見たいものしか見えない、見えていない心理学

ひと昔前(とはいっても4、5年前)では、スマホ「バッテリーの保ち」に関しての不満が、日々のイライラの20%程度を占めていた私であるが、ここ数年「バッテリーの保ち」についての苛立ちが皆無であることに気がついた。

これは、「①私が大人になったから、②技術の進歩による問題解決」のどちらか。私の大人力向上はかなり鈍化していることから、技術の進歩による問題解決のほうが大きく影響していることは明白。私をよく知る友人をランダムにチョイスし質問するも、10人中、10人がそう答えたから間違いない。

ネットメディアにおいても「バッテリー!!クソ」「充電がーーー(((( ;゚ω゚))))アワワワワ」的な投稿や記事を目にすることは、一時期に比べ大幅に減った。こう思うのは「人は見たいものしか見ない」という言葉どおり、私がその記事に関心がないからか───。

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見たいものしか見ない」また「見たいようにしか見ない」という心理は、人間の本質を突いている。近い将来、趣味としてどっぷりとハマってしまうものでも、現段階でそれを「見たい(知りたい)」と欲していなければ、目前を通り過ぎても完全スルーで意識にも残らない。これは正に「見たいものしか見ていない」という証明。

最近の日本女性は「巨乳が多い」───という私の持論も「見たいものしか見ていない」証明。妻の機嫌が悪いのはそういうことか───。

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