存在感を消すための極意について

私が毎日の通勤でイヤホンを常用しているのは、周囲の状況や面倒が聞こえないフリを演出しているに過ぎない。本当は全て聞こえている。

私のイヤホンは密閉性に難のある安物だけに、周囲の音はとても良く聞こえる。さらに言えばイヤホンジャックが本体から外れた状態でも想定した演出を貫く。これは周囲との境界線を築くための行動であり面倒に巻き込まれたくないというバリアにちかい。周囲で起こるトラブルをやり過ごしたり、知らない人に声をかけられそうなとき確実にスルーを決められる。

存在を消すアイテムとしては石ころぼうしに次ぐ性能を持っていると思う。存在を消すというより”周囲に存在を意識されない”といったほうがよいかもしれない。

社畜風情に成りあがり満員電車での通勤では、駅構内を歩く他人の「目を向けているのに目線が合わない」というなんとも不思議な光景を味わう。この本意を知ったとき”存在を消したほうが面倒でない”ということを知った。すれ違う他人と目が合うとソレをかわす行動に意識をはらわなければならなくなり、連続する意識の移行に体がついていかなくなる。しまいには多勢に揉みくちゃにされ心を無くす。

目線を合わせないというだけで、無意識に無駄のない流れるような歩行が可能となるのは若きリーマン時代の私にとっては、まるで「トキの北斗神拳」を見ているような驚きがあった。

このために使用したアイテムがイヤホンであったが、早々とこれを体得し、見ているようで見ていない”視認を無”にすることをを覚えた今、音のしないイヤホンを装着し”聴覚を無”にすることも会得したわけだ。満員電車で通勤するリーマンは北斗の次兄_トキと同等の技といえる。

そして、いま挑戦している奥義がマスクを装着することで得られる”存在の無”だ。不思議なものでマスクを装着しているだけで相手に「当人か否か!?」の判断を一瞬くらますことができる。これを使えば、不用意な時に知人に声をかけられそうな瞬間、流れるように反対へ進行方向を変えることができる。これは職場付近において最も力を発揮できる奥義だ。

社畜リーマンの通勤は、職場付近の最寄駅から自社デスクまでの道中がいちばん面倒が多い。上司、同僚、同期、部下と鉢合わせするリスクが一気に高まるからだ。鉢合わせれば社会人として挨拶しないわけにはいかない。そうなると必然的に自社までご一緒することになるのだが、話すことといえば「いい天気だね」「そうですね」とか「雨だね」「雨ですね」とかで明らかにばつが悪い。

それでも、完全に目が合っているのにもかかわらず声をかけない部下、後輩などはよくできた人間と褒めてやりたい。(決して私が嫌われているのではない。)自社前で「コンタクトを入れていなかったもので…」で済む。

そんなことからマスク装着で”存在の無”を会得しようとしている訳だが、これを教えてくれたのは昨日朝の職場付近の駅前でお声かかけさせていただいた私の上司。尊敬できる上司だ。

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