「ヒーローになどなれない」という現実を知ったときが「大人」のはじまり
日本人の誇れる「職人気質」が、プラスに働くことなく表面化され、構築されることでダメになっていく典型的な流れだ。そんな風潮が蔓延すれば、もうその流れは止められない─── 。各工程が職人としてのこだわりを見せはじめ、作業工程の複雑化がはじまる。
日本人の誇れる「職人気質」が、プラスに働くことなく表面化され、構築されることでダメになっていく典型的な流れだ。そんな風潮が蔓延すれば、もうその流れは止められない─── 。各工程が職人としてのこだわりを見せはじめ、作業工程の複雑化がはじまる。
デザイン制作というものは、クリエイターの心に「余裕」や「柔軟性」「遊び心」みたいなものが希薄になっている状態では ”創造力” に豊かさがなくなるものだ。故に私は、心を豊かにするために一杯の ”キリンのどごし生” で喉を潤す。
献身的な努力と奮闘が実ろうとも、そうでなかろうとも、ある一定の山を越えたところで「一息」のつもりが、それ以降全く士気が高まらない状態を ”燃え尽き症候群” と呼んだりするが、いまの私はその状態なのかもしれない。
40をオーバーしてきた頃から増えてきた ”物忘れ” 。よくあるのが、用事を済ませるために立ち上がり、隣の部屋に足を踏み入れるも「はて?」何をしようとしたのか───。メガネをかけた状態でメガネを探すというコントのような出来事───。ヤバ
このムーブメントの渦中にじっくりと浸かっていた年代(平成生まれ世代)にとってみると、全く認識が違うようで、「ポケモン」は幼少期の心の支え的な存在の敬愛するキャラクターなのだという。
写真の腕とスキルの低さを、分割ローンで手に入れた「豪華な機材」に補わせ、ピッチピチ美女を撮りたいというエロい発想が抑えられないという欲望の発表。
次から次へと、自身が納得する最適な情報を探しに飛び移る。そして、自身の求める情報に辿り着くや否や、その情報があたかも自分のために書かれた可能ようなものと勘違いし、その内容に縋(すが)ることになる。そう、人は見たいものしか見ないのだ。
スポーツ等での爽やかな汗が、私の体内から出されなくなって数十年─── 。やっと出るようになった汗は、責任逃れの苦しい立場を演出するかのような疑惑感たっぷりな毒汗───。
褒められるから「やる気」になるし「ノリに乗る」。20そこそこの青年であっても、40オーバーのオサーンであっても、褒められるというアクションに誉(ほまれ)な気分を感じない人はいない。
強固なダイヤモンドをも切断出来るほどの可能性を持つ「水圧」に対する”恐怖”と、「トイレの水」イコール「汚水」といった先入観が煽る”恐怖”。