できるデザイナーの「心の豊かさ」とそれが導く現実

「できる男」で有名な私は、会社で社畜リーマン演じたきった退社後も、自宅で仕事を継続する。これは、自身の制作するデザイン・クオリティ向上と、何ヶ月も待っていただいている次案件のクライアントのために1日でも早く────との思いからだ。

とはいっても、帰宅直後から一心不乱に制作に没頭するわけではない。デザイン制作というものは、クリエイターの心に「余裕」や「柔軟性」「遊び心」みたいなものが希薄になっている状態では ”創造力” に豊かさがなくなるものだ。故に私は、心を豊かにするために、一杯の ”キリンのどごし生” で喉を潤すことをスタートの合図としている。


一日の過酷な社畜活動に耐え忍んだ体に染み渡るこの清涼感と爽快感は、私の心に広がった薄暗く、重苦しい悪雲を一気に晴らしてくれる。人というのは、そんな些細な豊かさであっても、確実に創造性が向上するものである。創造性が高まれば、自然と本能的にMid2010_iMacの電源ボタンを押下し、準備も整っていくという訳だ。

2010のiMacは、昨今のSSDとは違い起動に幾らかの時間を要するのだが、これがなかなか豊かな心を後押ししてくれているようで微笑ましい───。この程度の起動に苛立ちを覚えるのならば、心の豊かさは回復していないと見るべきで、どんなにそれを取り繕ってみても良いアイディアやデザインは生まれない。

その間、多少の空腹を満たすため、冷蔵庫の中から今の気分に最適な食料を探し出す。1週間分の食料を買いだめするという私の生活スタイルでは、冷蔵庫を開ければ好みの食料がいくつも目に止まるから快適だ。

料理はしないこともないのだが、基本的に電子レンジで間に合う食料が保管されているということは、時間短縮を狙ってのこと。しかしながら、それによって栄養バランスが崩れ、体調不良になっては本末転倒だ。もう少し栄養バランスを考えて食料の調達しなければならないと反省する。当然、心が乱れない程度の反省で…。

そんなことを考えていると時間もあっという間に経つもので、電子レンジの温め完了アラームが耳に届く。このタイミングは、6年落ちのiMacの起動が完了するそれとほぼ一致するタイミングだ。「さて…」と、デスク前に陣をとりそうな流れだが、食事をとりながらキーボードを叩く週間は私にはない───。同時に何かを処理する「マルチタスク」は、こと食事においてはマナー違反、品格の軽視につながり賛同しないのが私の持論。

よって、食事は別室で時間を要して美味しく頂くことが私流。ゆっくりと時間をかけて噛み、ビールで潤した喉から胃に運ばれる栄養の素等は、空腹を満たすとともに私の心も満腹にしてくれる。まさに至福の時───。その後、3人掛けのソファーに横になり「テレビから発せられる光の粒子を眼球に当て込むだけで頭には入れない」という考えられないほどの贅沢で無駄な時間を頂戴することで心の豊かさをMAXにする。

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少年時代、母親からは「食後に横になると牛になる」などと何の根拠もない迷信めいた小言を言われたものだが、最近の科学的な研究では、自律神経の調整や消化促進につながる行為とみられているようで医療関係者の中でも肯定派が多数いるようだ。いつかまた違った意見が見い出される可能性は往々にしてあるが、自身が心地よく感じる行動が推進されているのであれば、それを否定する必要はなかろう。

そんな有意義な時間の使い方で、私の創造性は最高点まで拡大される。この状態が私にとって至高の創造性を発揮できるキレキレ状態。自分でも驚くほどのとんでもない想像が脳内で浮かび上がり、それがリアルにイメージされる。それはあたかも目前に物理的に存在している現実と寸分違わぬ錯覚を抱かせるほどだ。これは最高の創造(デザイン)が完成するゾ───。

…と思ったのも束の間、目覚まし時計のアラームで目がさめる。心穏やかな時間が「創造力」に発揮されるのではなく、豊かな眠りに繋がっていたようだ。なるほど….とソファーから起き上がり、ログインパスワードを要求された状態のiMacをシャットダウンし、今日も社畜を演じるために家を出る───。

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